
背番号34の本田聖空です。
朝5時に起きて東名の渋滞に怯えながら約90km車を走らせ、練習が終わると昼を食べずに3時頃までバッティングをし、同期の宿泊メンバーと外食した後イオン秦野店で割引されたポケモンパンを買い、206号室で変な話をして就寝する。こうした何気ない光景を日常として過ごすのも、残り数えるほどとなってしまいました。それと同時に、約19年間の長いようで短い野球人生もまもなく終わりが近づこうとしています。今の気持ちを率直に言えば、引退なんて考えられないし、まだ考えたくもないです。ただ、こうして自分の人生そのものである野球の引退を目前にした思いや、数えきれないほどの思い出を整理するまたとない機会なので、しっかりと振り返ってみようと思います。大変冗長な文章になってますので、お時間のある際に読んでいただければ幸いです。
実を言うと、自分は野球を引退するのがこれで初めてのことではありません。
高校2年の秋、小さな怪我から思うようにプレーをできなくなってしまい、野球選手としての道に見切りをつけ、新しい目標に進むため野球部を引退、学校を転校した時以来になります。この時の引退は、夢を断念する辛さから大きな葛藤もあり、監督さんに野球を辞めることを告げたあの日のことは一生忘れることがないと思います。そんな決断に対して、もちろん賛成して応援してくれる人ばかりではありませんでしたが、監督さんをはじめ指導者の方や担任の先生、家族、そして何より同級生のみんなが背中を押し、刺激をくれたおかげで、自分で選んだ道を正解だと言えるようにするために辛い日々もなんとか乗り越えることができました。本当に感謝してもしきれません。
さて、話が少し逸れてしまいましたが、そうした意味でこの大学4年間の野球は、自分にとって野球の神様が最後にくれたボーナスステージのようなものでした。
上智大学合格通知を受けて再び野球ができる喜びからか、気づけば入学どころか体験もしていないのに入部届を出していました。そして、年明けの練習初日(この代は2月1日。これが普通なのか今が異常なのかどっちなのでしょうか)から練習に参加し、体験生の特権を利用させてもらいながら気楽に楽しく野球を再開させました。
体験の度まっちゃんさんに「明日参加させていただきます。」とLINEをするついでに、駅からグラウンドまでの送迎手配をお願いしていたことを思い返すと、なんて失礼で図々しい体験生だったのかと思います。この場を借りて、まっちゃんさんと送迎してくれた世田谷組の4人の先輩、たむさんには(一応助手席の平山さんにも)謝罪したいです。
しばらくすると、合否の2日後から毎日体験に参加しようとしていた琥士朗や、「大学はガチでってよりは楽しみたいね」と話し合って結局1回しか体験に来なかった現キャプテンの哲郎と出会い、ここから同期を含めた第2の野球人生がスタートしました。
ブランクを感じながらも仲間とする久々の野球が楽しかったお客様期間もあっという間に終わり、気がついたら1春のリーグ戦を迎えていました。入学前から練習に参加していたことからか、自分とこじろうは早くからベンチに入れてもらいましたが一度も出番はなく、「代打あるかも」と言われてベンチの外で一生素振りをしていた記憶と、楢崎さんから相手選手の野球歴を聞いていた記憶しかありません。
夏以降は徐々にチャンスをいただき、秋には開幕からスタメンに抜擢され、前半は順調に結果を残すことができました。しかし、後半戦は思うような結果を残すことができず、チームに迷惑をかけてしまい、悔しさでグラウンドからクラブハウスに戻れない日もありました。そんな時にも4年生をはじめとした先輩方が「1年生なんだから思い切ってやりな」と温かい言葉をかけてくださり、大変救われました。
2年の初期は、アウトハイのボール球に手を出して三振を繰り返す大スランプに陥りました。構えから迷走していたこの時期は、打席に入っても全く打てる気がしなかったです。
このあたりから始めたのが壮真、琥士朗、かじけん(、4年に入ってから将大)との練習後のフリーバッティングです。最初は、先輩がご飯を食べてるうちにやっちゃおうというつもりでしたが、気づけば今では時間を忘れるくらい長々とグラウンドを占領してしまって申し訳ないなと思ってます。もう少しみんなのコントロールがよければ半分に時間を短縮できたな、と集球に溜まったボールを見て最近気がつきました。でも、やっぱりこの自主練は絶対に欠かせない1番大好きな時間です。
さらに、もうひとつ始めたものが打席の動画撮影です。マネージャーのみんな仕事があって忙しい中、いつもありがとうございます。動画はスマホの容量を食ってしまうので、もし消してなかったら忘れないうちに消しておいてください。
こうした試行錯誤の成果もあったのか、秋はそれなりに結果を残すことができ、チームの勝利に貢献する喜びを実感することもできました。
3年は、個人としてもチームとしても悔しいシーズンになりました。
本気で優勝したい、できると思えたチームだったからこそ、少しでも力になりたいと懸けた1年でしたが、期待に応えることができず、だんだんとそんな自分が情けなくなっていきました。また、夏頃からは外野で蔓延していたインピに感染し、思うようなボールが投げられず、なんとなく身体的にも限界を感じるようになってしまいました。
しかし、間違いなくこのチームでの積み上げがあったからこそ、今のチームがあると思います。平野さん、貞包さん、たくさんのバッピとノックをありがとうございました。これまであまり手をつけてこなかった守備が上達したような気がして、守りの時間も楽しいかもと思えるようになりました。
自分たちの代にとって永遠の2年生が引退してしまった時はとても寂しかったですが、今では平山さんがいない静かなポジ別にも慣れてしまいました。たむさん、平山さんにはいろいろな面で本当にお世話になりました。また、外野手ディズニー行きましょう。
迎えた最終学年は、想像以上に一瞬で過ぎ去りました。アップでPPを走ったことも、連ティー2種をやったことも、たぶんほとんどの人が覚えてないと思います。
副キャプテンが消えた最初の方はどうなることかと思いましたが、頼り甲斐のある幹部を中心に少しずつチームとして成長していくことができました。
こうして振り返ってみるとこの4年間、成績だけを見れば到底満足できるものではありませんでした。目に見える何かを残せたかと聞かれれば、ポケモンパンシールをジャグいっぱいに埋め尽くすことくらいしか思いつきません。
しかし、上智大学野球部でこの4年間を過ごせたことは、自分にとってかけがえのない大きな財産です。スポーツ推薦もなく、常に指導者がいるわけでもない限られた環境、時間の中でみんなで一からチームを作り上げる過程そのものに、これまで経験してきた野球とは違うおもしろさや刺激的な学びがありました。
そんな上智大学野球部として戦うのもいよいよラストシーズンになりました。ここに来るまで様々な出来事があったけど、この仲間と野球人生を締めくくることができて本当に良かったと思うし、幸せなことだなと強く思います。だからこそ、この最高の仲間と1日でも1試合でも多く野球をしたいです。
最後になりますが、今まで自分の野球に携わっていただいた監督コーチ、OBOG、保護者の皆様、神谷さんをはじめ大学関係者の皆様、本当にありがとうございました。これからも上智大学野球部へご支援、ご声援のほど、よろしくお願いいたします。
本田 聖空




















