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2026

引退ブログ-梶田堅真-

総合人間科学部教育学科4年梶田堅真です。拙い文章ですが、去年の平山さんくらい書けるように頑張ります。

せっかく自分が好きなことを書ける機会をいただいたので、僕の野球人生を振り返ろうと思います。知らない一面が見つかるかもしれないし、想像通りのつまらない人間かもしれません。最後までお付き合いいただけたら幸いです。


僕は3歳頃、父に家の庭でバットを持たされて初めて野球に触れました。右利きなのに突然バットを左で振ったので少し驚いた父の顔をなんとなく覚えています。その後、小学校1年生の冬に少年野球を始めました。父に体験会に連れて行かれ何が何だかよくわからないまま入部していました。小4の時はキャッチャーで区大会を優勝したりと楽しかったと思います。しかし、高学年、特に小6になってからは野球が楽しかった記憶はほとんどありません。チームの大人と全く合いませんでした。当時から今と変わらず頑固で可愛げのない子供だった僕は、あまり好かれることもなく、怒られないように大人の顔色を伺う術を身につけました。


中学に上がるタイミングでは野球を辞めてテニスをやると呟いたことはあるものの、当時の梶田家には到底野球を辞めれる空気感は無く、また流されるまま硬式のチームに入っていました。しかし、中学でも指導者ガチャを外してしまいました。今のところ人生最悪の3年間の始まりです。中学での記憶は監督に理不尽に怒られた以外の記憶はほとんどありません。中2の途中では本気で辞めようとしましたが、親に止められました。公式戦は2打席くらいしか出場したことがなく、終始雑用をしていました。野球は嫌いでした。ただ、負けず嫌いな自分は残っていたようで、「勉強して公立校行って監督が可愛がってきた私立推薦組に勝ったらどれだけ気持ちいいのだろうか」と思った僕は、野球を大人への反抗手段に変えました。引退間近の中3夏は、練習中に監督アンチの一般受験組と監督の目を盗んで勉強し、試合中は監督にコーラを注ぎ、監督に怒られた時は笑ってました。


野球は高校3年間で辞めると腹を決めた僕は、受験を乗り越え、初めて自分で「この人の元で野球を教わりたい」と思った先生がいる高校に入学しました。この3年間では、やらされる野球から脱却し、自分で考えて練習したり選手主導でチームを作っていく楽しさを知り、野球がまた好きになりました。顧問の先生達は部活でも私生活でも頼りになり、今でもBIG LOVEです。同期や先輩後輩にも恵まれ、僕が主将をしたり、ショートがピッチャーでプロ野球選手になったり、夏のシード取ってベスト16入ったりと、レギュラーとして試合に出ることは無かったものの野球を辞めるには申し分ない3年間でした。しかし、夏大で慶応に負けた時、悲しさより悔しさが湧いていました。そして試合が終わった直後に大学でも野球をやると決心していました。完全に想定外の感情です。長い髪を靡かせながら何食わぬ顔をして校歌を歌う慶応ボーイ達に無性に腹が立ち、もう少し自分なりに抗ってやろうと思いました。


大学の野球部に入れなくてもクラブチームで硬式野球をするつもりでしたが、一般受験で大隈重信に振られた僕は上智に入学することになります。上智には野球部があるし、レベルもついていけそうだからと軽い気持ちで入部することを決めました。しかし入部までは震えて過ごしました。入部が近づくに連れて、更新される球歴を見ていたら経歴お化け達がどんどん増えていくのです。市金野球部を震え上がらせた篁さん(春大でじゃんけん経験あり)をはじめ、桐蔭?海星?日藤(秋大でじゃんけん経験あり)?高輪?ライオンズJr.からの日大三高?あ、山手もいる良かっ...麻生ボーイズ??と、リアルに友達になれる人は西高と本郷さんだけだと思ってました。先輩も強豪校出身者ばかりで入るところを間違えたと思いました。

ただ、初めて練習に参加した時、思わぬ幸運がありました。受験期にストレス発散で懸垂をやりまくっていたら、飛距離が伸びていました。木製バットでも飛ばせました。それによって1秋には4部ながらも試合に出ちゃったり、賞なんか取って表彰式で常広とツーショ撮ったり、ハマスタで打席立ったことない横浜市民が神宮で四番で出たりと結果だけ見れば完全に野球人生の全盛期という成績を残せました。公立にしては少し強い高校の控えが試合に出ていたのに仲良くしてくれた当時4年生の先輩方は大好きだし感謝しています。かなり生意気なことも言ったのにそれに乗っかってくれたり、ずっとふざけてるのにめっちゃ頭良かったりと今でも思い出して懐かしむことが多いです。


大2からはなかなか思うように行きませんでした。控えとしての野球人生の方が長かった僕は試合に出続けること、結果を出し続けること、その上で勝たなければいけない難しさに直面します。今でも解決策はよくわかっていません。けれど野球は面白かったです。まとまってるのか仲悪いのかよくわからない2個上の先輩達の代はあまり評価が良くないですが、僕はそれはそれであの空気感は嫌いじゃなかったです。いや、気のせいかもしれないです。


大3は授業・教職・バイト・就活・部活が襲ってきて何からやればいいかわからなくなり、結果的にバッティングが1番疎かになってしまいました。情けないです。それでも1個上の先輩達はかなり好きなので、できる限り貢献したいと思ってました。あっきーとたむさんと秦野でよくわからない哲学的な話をずっとしたり、平山さんは、入部してすぐに服部さんから平山さんと俺でレシラムとゼクロムって括られてちょっとムカついたけど仲良くなったりなどなど、僕らが1年生で先輩達が2年生だった時が昨日ほどではないですが、1年前くらいには感じます。


こんな感じで僕もとうとう4年生になり、引退が近いです。自分が納得して野球を辞めるために始めた大学野球もとうとう終了です。大学まで野球を続けているし、プロからアマまで野球を見るので野球が好きだと思われがちですが、今でも心から野球が好きとは言えません。野球が好きランキングでは部内上位に入るかもしれませんが、野球が嫌いランキングでも上位に入ると思います。それでもトップレベルで野球をしてきた人達とできたこの4年間は楽しかったです。正直野球の未練はもうありません。15年も野球をしていると野球よりやりたいことが見つかるらしいです。試合に出ようが出なかろうが、最後まで自分らしく野球と向き合いたいと思います。


流石に同期についても少し書こうと思います。ただ、恥ずかしいので、詳細は飲み会で酔っ払ってる僕に聞いてください。幹部とマネは、平社員の僕からは見えないところで色んな仕事をたくさんやってくれていたと思います。本当にありがとうございました。あと少し手伝えることがあったら手伝わさせてください。その他平社員のみんな、秦野206での時間は楽しかったです。あんなことやこんなこと、親の前ではできないこともたくさんしたね❤️(半分くらい睡眠時間だと思うけど)

特に本田聖空君には個人的に感謝しています。入部して初めて秦野でバッティング練習をした時、きよのバッティングを見た時に、「かっこよすぎる///」と思うと同時に「負けたくないな」と思いました。明確に大学野球へのスイッチが入りました。その後も外野で練習したり、一緒にバッティングしたり、富山のバットやかっこいいバッティンググローブの話をしたりと勝手にライバル視してたけど、それ以上に好きになってました。こんなこと書いておいて次からどんな顔して会えばいいかわからないので、一杯飲んでから次の秦野行くと思います。


後輩達に偉そうに伝えたいことは無いですが、最後まで好きなように野球をしてほしいと思います。大学で野球を辞める人が多いと思うので、最後の最後にしがらみとか窮屈さを感じて野球をしてほしくないです。考え方や目的が人それぞれなので難しいところも多いと思いますが、全員で歩み寄ることを辞めないでほしいです。あと僕は怖い人じゃないので普通に話しかけてください。話しかけられると喜びます。


最後になりますが、両親を筆頭に僕の野球を支えてくれた人全員に感謝します。本当にありがとうございました。


最後のリーグ戦もいつものようにその辺でバット振ってると思うので、必要な時に呼んでください。(飲み会も呼んでください)


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