
引退ブログ
主将の篁です。
はじめに、日頃からお世話になっているOB・OG・保護者の皆さん。そしてご指導いただいた指導者の皆さん。本当にありがとうございました。また今後とも上智大学野球部のご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。
約16年間、ずっと生活の中心だった野球が終わろうとしています。野球と聞けばただのスポーツかもしれません。でも、僕にとっては人生そのものでした。そんな僕の「野球人生」をここに記したいと思います。
3歳の誕生日、叔父と叔母から当時マリナーズで活躍していたイチロー選手の子供用の野球用具セットをプレゼントしてもらいました。それ以来、週末になると家の目の前にある公園で父と毎日のようにキャッチボールやラミレスの真似をしたバッティングをして遊んでいました。
僕の野球人生はここから始まりました。
小学生にあがると同時に、地元の少年野球チームに入りました。弱小で人数も少なく、市の予選では毎年初戦負け。それでも、たくさんのお父さんコーチに囲まれ、野球は楽しいということを教えてもらいました。
一度だけ、負け続きの日々に嫌気がさし、チームを移籍したいと両親に相談したことがあります。しかしその際、一つのことを最後までやり抜くこと、素晴らしい仲間は簡単には出会えないことを理由に移籍は却下されました。振り返ってみると、この出来事が大学4年まで野球を続ける原動力の一つになったのだと思います。
6年生になると市の選抜チームに選ばれました。チームでは1番上手いと少し天狗気味になっていた僕でしたが、試合に出ることができず、野球の世界の広さを知りました。同時に、より高いレベルでの野球がしたいと思うようになり、中学ではクラブチームに入ろうと決意したきっかけにもなりました。
そして中学では調布シニアに入りました。毎朝5時には家を出発し、グランドの外周や飛行場の横のロード、無限に続く全体ランニング、クリスマスや年越しを含む2週間の台湾遠征など、野球人生の中で一番過酷な3年間を過ごしました。
しかし調布のコーチ陣は、見た目は怖く練習中は厳しいですが、一人の野球人として大切なことをたくさん教えてくださいました。
また僕は中学3年生まで一度も優勝経験がなかったのですが、調布の仲間たちは「篁のために」と口を揃え、最後の大会に挑んでくれました。今でも毎年末には旅行に行くほど仲が良く、私の野球人生で一番の仲間たちと出会うことができました。
高校では桐光学園で、本気で甲子園を目指しました。僕の野球人生の中で、一番野球に向き合い、死ぬ気で努力した3年間でした。朝から晩まで野球に明け暮れ、家はご飯と寝るための場所。しかしそれだけ野球に打ち込んでも甲子園には出られませんでした。三年の春、神奈川県大会で優勝することはできました。しかし今でも、二年夏の慶應戦、三年夏の藤沢翔陵戦は振り返ることができません。いまだに甲子園に行きたいと思うことすらあります。
また、三年生の頃は主将を務めさせていただきました。しかし主将として、そして甲子園に出なくてはいけないというプレッシャーから、野球は楽しいものから、勝たなければならないもの、そして一種の仕事や義務のようなやらなくてはならないものに変わってしまっていました。
夏大が終わり、指定校で上智進学が決まったころ、甲子園という目標を失った僕は野球をやるモチベーションはなく、大学では楽しいことだけしようと思っていました。
しかし、高校で野球が楽しいものよりは義務的なものに変わってしまったとはいえ、高校三年生まで野球しかしてこなかった自分にとって他に楽しいことが何か分かりませんでした。アメフトやサーフィン、いっそ何もせずただ友達と遊ぶ大学生など様々な自分を想像しました。しかしどれもしっくりきませんでした。
こんなことを言っていますが、この期間も上智野球部のことを桐光からの先輩の平野さん)にずっと質問していました。4部へ降格した入れ替え戦も見に行きました。そして二月、一度だけ体験に行った際に久しぶりにプレーした野球はものすごく楽しいものでした。この日に僕は大学では楽しく野球をやろうと決心しました。
すでに拙い長文となってしまっていますが、これから本題の大学野球について振り返るのでもっと長くなります。お時間ある時にお付き合いください。
大学野球は僕の野球をまた楽しいものに変えてくれた時間でした。高校時代の自分が大学野球の自分を見たら、びっくりするか少し怒るんじゃないかと思うくらい笑顔で野球ができました。練習や試合の楽しさももちろんですが、何より仲間に恵まれたことがその一番の要因だったと思います。
【一年生】
入学式で隣の隣に座っていた伝蔵を見つけ、四年間一緒にいる気がしたところから始まりました。その日の午後のガイダンスで広貴と合流し、済済3人が出会い、次の日から授業も部活もほぼ毎日会う生活をしていました。野球は七月までは特に何かした記憶はないですが、春の入れ替え戦で120kmのストレート三球で三振したり、合宿の部屋でまっちゃんさんが院試の勉強をしている中、大声でポーカーしたり、神宮で三部昇格したり今でも楽しい思い出が鮮明に記憶に残っています。
大学野球(大学生)の楽しさを実感した一年目でした。
【二年生】
二年生は個人としてもチームとしても中だるみの一年になってしまいました。せっかく三部に昇格したのに、正直チームとしても個人としても目標が曖昧で、何を目指してるのかがよく分かりませんでした。
野球よりも遊びを優先してしまい、名古屋で審判をしていたり、二期連続最下位回避の5位だったり、最近はよく空白の一年とみんなでネタにしています。しかしこの一年があったからこそ、三年生以降につながったと思っています。
【三年生】
新チームが始まる前、平野さんが学生コーチになると聞き、驚き・寂しさと共に覚悟が伝わってくるところから始まりました。初練習の前に平野さんから直接「お前の力を貸して欲しい」と伝えられ、この人のために勝とう、先輩達と優勝しようと決意しました。しかし結果は、二期連続四位と悔しい成績に終わってしまいました。本当に優勝を狙えると思っていたし、実際に互角に戦える試合もあっただけにとても悔しかった。しかし、二年生までの大学野球は勝敗よりもゆるく楽しい雰囲気だったのに対して、本気の勝負を楽しむこともできました。
この年から学生監督制になったり、学生コーチができたり、自分たちの代でチームを運営する上で苦労することもあったけど、先輩達と本気で優勝を目指せたこの一年は本当に充実していました。
【四年生】
主将として監督として、悩ましく楽しい一年でした。同じプレーヤーであるにもかかわらず、選手の起用を任され、努力している姿や悔しがっている姿を見て何度も情に流されそうになりました。しかし、みんなから主将兼監督として推薦してもらったのは、勝てると信じてもらったから。このチームが勝つために最善は何かを今も考え続けています。
みんなはきっと俺に思うことも多くあったと思う。けど、文句も嫌な顔もせず、全力でついてきてくれてありがとう。春リーグ、野球部として久しぶりに三位を取れた時はほんとに嬉しかったし、大学野球で一番楽しいリーグだった。秋、あれを超えるリーグにしよう。上智の歴史をつくろう。あと少し、よろしく頼む。
最後に大学野球でお世話になった方々へ感謝を伝えたいと思います。
先輩方。
生意気で未熟な僕を受け入れてくださり、仲良くしてくださりありがとうございました。特に一つ上の先輩達はみんな優しく面白く、大好きな先輩達です。僕らの代にとっては永遠に二年生であり、一番身近で頼りになる存在でした。家からどこまででも楽しい車内で送り迎えをしてくれる先輩、今でもゴルフに行く先輩、バイトが一緒だった先輩、高校から約五年間、野球人生で一番お世話になった先輩。あげるとキリがないですが、本当にお世話になりました。また皆さんと飲み行ける日待ってます!
後輩達。
この一年間ついてきてくれてほんとにありがとう。みんな生意気で子供で来年以降ちょっと心配だけど、みんなの力が無ければここまでのチームになってなかった。このチームが勝つためにあと少し力を貸してください。
最初入ってきた時は距離感近すぎでうざかったけど、今では三遊間組んでゼミも一緒でいつも一緒にいる気がする、いっき。何事にも全力で逆に全力すぎて心配になるけど、たくさん助けてもらった、むな。済済に野球部に入ってきてくれて、仲良くしてくれてありがとう。大人になっても毎年済済旅行行こうな。
そして同期。
近すぎず遠すぎずちょうどいい距離感の同期が大好きです。四年間ほぼ毎日のように顔を合わせていたみんなと全く会わない日々を想像することが一番寂しい。それくらい俺にとって当たり前で大きな存在だった。
将大。実はめちゃくちゃ真面目で、仲間思いで、周りのことを考えて気にかけ続けてくれる将大がいたから、俺は主将としてチームを強く引っ張れた。ありがとう。
広貴、学科もバイトも部活も一緒で四年間で一番多くの時間を過ごしたな。運営側にまわってほんとにたくさん迷惑かけたし負担もかけたけど最後まで全うしてくれてありがとう。
伝蔵。四年間ずっと一緒にいてくれてありがとう。一生よろしく。
最後に両親へ。
野球を始めたのも、続けてこられたのも、楽しかったのも全て2人のおかげです。野球をやらせてくれてありがとう。一番のファンで居続けてくれてありがとう。最後の最後まで自分らしく全力で頑張ります。応援きてね。
このチームで野球ができるのも残り約2ヶ月。俺は最後、みんなと笑って終わりたい。ここまでやってきたことを信じて、最後まで戦い抜こう。
勝つぞ。
篁哲郎




















